私には、絵を描く際の一貫したコンセプトがあります。モチーフが変わっても、この根底にあるものは変わりません。
それは、「矛盾的自己同一」です。
これは仏教の世界の言葉だそうで、知人に自分の考えを話したところ、それに当てはまるのではないか、とのことでした。端的に伝える手段としてこの言葉を使っています。文字通り、自己の中に矛盾するもの、相反するものが存在するという意味です。
これは、私が表現したいと思うものに共通することです。外見でも内面でも。
全く逆のことが実は表裏一体となっていて、どちらがかけても成り立たない。どちらもあるから、魅力的で、何か気になってしまう。
例えば、蓮は大切なモチーフの1つです。
古代蓮(大賀蓮)は水の中から長い茎を伸ばし大きな葉を開いています。その姿はまるで水に立っているかのように見えます。しかし、その地下深くには確かに暗い泥があり、たくさんの養分や微生物があって、そこに根を張らせることで存在することができています。つまり、花が一面に咲いている様子は神秘的で綺麗ですが、濃い緑色の葉や茎のうねり、水の冷たさ、そのずっと奥にある泥の深さ、見えない怖さ。そして、泥の中にはたくさんの生物がいる。その未知なものへの恐怖。そういったグロテスクさや恐怖が、同時に存在しているのです。
そして、その美しい蓮の花を支えているのはやはり水であり泥です。またそれを育てるのは水や泥の中にいる生き物です。
生を支えるために、確かに存在するもの。
生は、未来、希望、明るさとは表裏一体となって、過去の辛く悲しい記憶であったり、それを消化させた自分があって、支えられているものだと思っています。
だから私は葉を描き、泥を描き、見えない生き物の確かに存在する様を、たくさんの色を使って描きます。